郡盲象を撫でる
前の投稿を書いていて、ふと思い出した諺(ことわざ)を、確認のため、ググって(Googleで検索して)みました。
「郡盲象を撫でる」(ぐんもうぞうをなでる)
意味・・・一言で言えば「局所的知覚による誤解釈」
もっと詳しい意味・・・
人がそれぞれの五感や知識に基づいて真理を語ろうとしても、言及できるのはその一端にしか過ぎないということ。目の見えない人たちが象の体を撫で回し、それぞれが手に触れた部分から象は太い綱のようだ、杖のようだ、太鼓のようだと見当違いの批評をしたという、仏典『六度経』にある寓話から。
よく、「自分は正しい。あんたが間違ってる」
みたいなモノの言い方をする人がいますが、
・・・会社にもそんな、重箱の隅を虫眼鏡で探すような、近視眼的あら探し屋さんがいますが・・・(^^;)
私は、自分の考えている事の外にも、別の見方があるかもしれない、ということを、
肝に銘じ、謙虚さと感謝の気持ちを忘れずに、全体を考えて、人と接して生きたいと思います。
・・・でも、理不尽なことを言われると、つい感情的になってしまう、
弱い自分が、ここにいますが、何か?(2ちゃんねる風)
同意別表記
群盲評象、群盲撫象、群盲象を撫づ、群盲象を撫でる、群盲模象、群盲象を模す
参考
仏教説話「六度集経」の現代語訳
・・・鏡面王は言った、「すぐに、象の所へ連れて行ってやれ」、家臣が王の命を受け、この盲人達を象の元に連れて行き手を引いて、盲人に示した。中には、足を触る者、尾を持つ者、尾の根本を持つ者、腹を触る者、脇腹を触る者、背を触る者、耳を触る者、頭を触る者、牙を触る者、鼻を触る者がいた。盲人達は象について、各々の見解を争い、自分は正しく他の者は間違っていると収拾がつかなくなった。家臣は王のもとに連れて帰った。王は、「お前達は象を見たことがあるか」と聞いたが、見たことはないと答えた。王は「象とはどういうものだ」と聞いた。足を触った者は「大王様、象とは立派な柱のようなものです」と答えた、尾を持った者は箒のよう、尾の根本を持った者は杖のよう、腹を触った者は太鼓のよう、脇腹を触った者は壁のよう、背を触った者は背の高い机のよう、耳を触った者は団扇のよう、頭を触った者は何か大きなかたまり、牙を触った者は何か角のようなもの、鼻を触った者は「大王様、象とは太い綱のようなものです」と答えた。そして、王の前で「大王様、象とは私が言っているものです」と再び言い争いを始めた。鏡面王は大いにこれを笑って言った、「盲人達よ、お前達は、まだありがたい仏様の教えに接していない者のように、理解の幅が狭いのだね」・・・
もっとわかりやすい解説
「郡盲、象をなでる」というお話があります。これはエコロジカル・アプローチの診療の仕方を説明するときよく使われます。話しをすすめましょう。インドに全盲の人たちが何人か集まって話し合っていました。「象とはどでかくて平べったいうちわみたいなものだ」と、耳をさわった人がいいます。「いや、いや、象とは丸太ん棒みたいにどっしりしている」と、足にさわった人は言います。「何いってるんだ。象はな、ふにゃふにゃと長い太いホースみたいだぞ」と、おそらく鼻にさわった人でしょう。みんな各部分では正しい象の姿です。
でも本当はみんなあわせたものが、象の全体像ですよね。
家族にも同じことが言えます。不登校の男の子を例にとってみましょう。母親にしてみれば、朝起きてこない、学校に行かないどうしようもない息子。でも友だち仲間ではゲームソフトをきまえよく貸してくれるいいやつ。学校の先生からみると「宿題はしてこないし、授業中騒ぐし、やんちゃくれの僕」。でも妹は「夜遅く塾に迎えにきてくれるやさしいお兄ちゃん」。一人一人違う面をみているのですが、みんなひっくるめて男の子ですね。お父さん、お母さんにも同じことが言えるでしょう。相手によって状況によって、人は見せる顔が変わります。だから一面だけとらえて「この人はこんな人」とは、言い切れないものがあります。
そうそう。人に、すぐレッテルを貼って、「こいつは悪い奴」「使えない奴」と、知らない人に
ネガティブな噂を流す人が会社にいます。いい、反面教師です。
「盲人の差別と取られることもあるので、使用時は注意」とのこと。
・・・なんだかなあ。タダの故事なのに。あまり、腫れ物に触るようなことをしていたら、
気の遣いすぎで、かえって差別ととられそう(-_-)
マイナスな出来事でも、こんな貴重な経験ができて、勉強になったので
「よかった、よかった」
と感謝し、プラス思考(ポジティブ・シンキング)に考え、
体は忙しくても、心には余裕を持ち
できるだけ、人のせい、社会のせいにしないで、生きていきたいですね。
徹夜続きで、心の余裕がなくなっていると、なかなか実現できませんが。
・・・というような、なんの利益にもならないこと、一見、時間のムダに見えることに考えを巡らす時間を持つことが、人間にとっては、必要なことだと keme は思っています。
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コメント
≪…「郡盲象を撫でる」…≫で、数の言葉の計量構造を掴むには、
『 C(半円・【π】)と【₁】 おなじとちがう おともだち』とか・・・
投稿: 言葉の量化と数の言葉の量化 | 2021.05.16 18:59