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2006.01.18

阪神大震災から11年>レナちゃんが

1/17 阪神大震災から丸11年。あの日は、神戸ポートアイランドで開催されていた、全日本フィギュアスケート選手権大会が終わって、夜中に愛車スバルサンバーで神戸を出て、徹夜運転での帰り道、奈良から三重に抜けていた明け方頃だった。全く気づかず東京に向かって運転してた。もしあのまま朝までポートアイランドにいたら・・・
地震による液状化で吹き出した泥の中、泡食って帰ろうとしたら、橋を渡れず、島内に閉じこめられてたかも・・・ようやく島を出たら、国道43号線上の阪神高速の橋脚が折れ、横倒しになっていて通れず立ち往生だったはず・・・
当時は、ケータイなどは、高値の花で、庶民は持っていてもポケベルだった。使用者が少なかったので、固定電話は通じないけど、重くて、バッテリーが巨大なケータイや、ショルダーフォン、自動車電話はなんとかつながっていた。今は逆で、新年の、あけおめメールごときで、ケータイは輻輳(ふくそう)して、つながらなくなってしまう。震災があったら、きっと使い物にならないだろうなあ。
 家に着いてからニュースを見て、実は、数時間前までいたところが、すごいことになってたんだ!とひやひやものだった。
 あの大会で、演技中にぜんそく発作(?)呼吸困難で倒れ、即入院となった、井上怜奈ちゃんは、その後1997年お父さんを肺ガンで亡くし、1998年、アメリカに渡り、ペアを組んだが、自分も肺ガンとなり死の恐怖と戦い、それを乗り越え、昨年9月にアメリカ市民権も得てとうとう、1/13 全米フィギュアで、伝家の宝刀、スロートリプルアクセルを決め全米ペアチャンピオンまで登りつめ、トリノオリンピック出場を決めた。2位以下に大差をつけた完全優勝だ!父親の死、自分のガンなど、どん底からの復活で、3回目のオリンピック出場!まさに、ドラマチックな激動の人生を戦い続けている。昔、新松戸ダイエーのリンクで、都築先生について練習してた頃は、レナちゃんとは結構、おしゃべりしてたものだが、あのかわいかったレナちゃんが、今では偉大な全米チャンピオンだ!レナちゃんパパともよくおしゃべりしてたのに、肺ガンで、46歳で亡くなっていたなんて・・・(-_-)
それにひきかえ、私は・・・スケートオタクとして、お気楽にNHKテレビに出演。ずいぶん差がついちゃったなー(^o^)www

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