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2005.04.11

パソコン通信・・・終了へ

「ニフティ株式会社は、1987年4月から運営してきた「ワープロ・パソコン通信」サービスを順次縮小し、2006年3月31日(金)をもって終了します。これまで「ワープロ・パソコン通信」サービスをご利用くださいまして誠にありがとうございました。」
うーん、これも時代の流れかあ。寂しいなあ。

思い出・・・私は、インターネットが広がる前、1994年から、カシオのワープロと、1200bps外付けモデムをつなぎ、モデム制御のATコマンドを打ち込み電話回線で、今では考えられない遅い速度(現在、遅い遅い電話回線でさえ、56000bps)で、「ピィー、ピロピロピロピロ」っとニフティサーブのパソコン通信を始めた。フォーラムFWINTER内「氷の園」という、フィギュアスケートの会議室によく出入りし、オフラインミーティングで、スケート仲間ができ・・・自分の会社や、取引先の会社の点数、今で言う格付け、会社の通信簿を、「帝国データバンク」で引き出したり・・・ここは情報料が高く、1分間で400円も取られた。ダイヤルQ2よりも高い(^o^)
その頃のパソコンといえば、ウインドウズ95さえまだなく、MS-DOSと、漢字Talk(MAC-OS)で、一太郎、ロータス123、クラリスワークス等を使って、ワープロ表計算をしていた。
国産独自OS搭載のNECの98シリーズも、まだ元気であった。

・・・その昔、私がパソコンを始めた中学時代は、パソコンなどという言葉はなく、「マイコン」と言っていた。
CPUは、80系より、68系の方が優れている→アップル2が一番!とかの論争や、Z80のCPUとテンキーと数字表示器を基盤に貼り付けただけの、「ワンボードマイコン」で、CPUの勉強をするのがはやっていた。
SHARPのクリーンコンピュータMZシリーズや、富士通FM-8、NEC PC-8001などが出てきた。コモドールや、タンディなどの、安いマイコンも出てきた。マイコンゲームは「アップル2」と「アタリ」だったかな「アミーガ」ってのもあったような。トミーの「ぴゅう太」なんてのも出た。
ハードディスクはおろか、フロッピーディスクさえ、まだ、一般には普及しておらず、オーディオカセットテープを使い、カセットインターフェースで、データをSAVEやLOADしていた。雑誌も、「マイコン」「アスキー」「RAM」「I/O」等、わずかしか無く、たまに少ない小遣いで買っては、むさぼり読んでいた。秋葉原ラジオ会館7階にあった、NECビットインで、PC8001のデモ機を占領して、BASICプログラムを組んで走らせ、何時間も使って怒られたり(^_^;)
ワープロもようやく、車が買える値段で、富士通OASISシリーズ等が出てきた。フロッピーも、ぺらぺらのでっかい8インチサイズ。大型のコンピューターは、パンチカードと、オープンリールの磁気テープ。
・・・うわあ!なつかしい!あの頃は、若かった。国電の山手線で、西日暮里まで通学する途中に秋葉原があったので、体操部の練習のない日は、途中下車して、高架下のラジオセンターや、電気街めぐり、アキハバラデパート前の実演販売・・・穴あき包丁売りの川口さんの華麗なる包丁さばきに見入ったり、手品グッズ、からくり箱、野菜スライサー、魔法の洗剤・・・に見入ったりしてたなあ・・・ちょっと足をのばして、神田の古本屋街にもよく行ったもんだ・・・「ニッピン」という、登山用品の店も良く行き、シュラフ(寝袋)等も買ったなあ・・・シュラフと輪行袋を持って、自転車で旅に出たり。東京から長野とか新潟とか。お酒で有名な、八海山にも登ったり。途中の群馬あがつま渓谷、川原湯温泉あたりで台風に直撃されたり、帰りは疲れて、輪行袋に自転車を分解して詰め、手回り品キップをつけて、電車やディーゼルカーで帰ったり。そうそう、あのころ、国鉄は、よくストライキをやってた。ストで電車が止まると学校が休みになり、ちょっとうれしかったりして。改札には、キップきりがいて、乗車券に、ちょきちょきハサミを入れていた。キセル乗車も多かった・・・ほんと若かったなあ・・・遠い目('_')

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